こんにちは!じゃっかんあるつ(@cosmicalz)です。
ジョージアから日本に帰って3週間ほど経ちました。
一時帰国ではなく一旦帰国。
今後はまた違う国への展望を考えています。
外国で暮らすってめちゃくちゃハードル高いと思っていたけど
それもこれもジョージアでの生活がめちゃくちゃ楽しかったから。
ジョージア生活どうだった?
ざざざっと振り返ってみます。
コロナ禍でジョージアに移住
海外で暮らしてみたい!
という子どもの頃からの夢は
熱を帯びたりさざ波になったりだったのだけど
いろいろなタイミングが重なって
よし!出よう!
となって
移住のハードルがまだそこまで高そうではない
スペインやポルトガルを下見に行ったのが2018年の秋。
その頃からなぜか「ジョージア」という国が降って湧いてきて
(日本人の99%が行かない国って言われていたにも関わらず)
じゃあジョージアも見に行ってみよう!
となって実際旅行で来たのが
2019年12月。
その頃は誰も知らなかったけど
翌年の冬にコロナの脅威が襲ってきたなー
でもジョージアへ行く氣になっていた私たちは
どうにか行く方法を見つけて
2021年の4月
ギリッギリのバタっバタで飛び立ったのでした。
ホントすごい時期に行ったもんだよ。
しょっぱなからゆるかったジョージア
着いた先のジョージアは
一応コロナ渦だったから指定したホテルでの
隔離を実施していて
8日間一歩も外に出れないのか〜
ても仕方ないよね
デリバリーを楽しもう!
なあんて思ってたら
朝食は最上階でバイキングだよ!
と。
わっ部屋から出れるんだ♡
と行ってみると
一般のお客さんもバイキングしてる‥
隔離とは?笑
そんなジョージアの幕開けでした。
娘の学校問題
当時6年生だった娘は移住することを親に告げられて
ジョージアの情報がないなりに生活を妄想したりする中で
前向いたり後ろ向きになったり。
日本でシュタイナー学校に通っていて
ジョージアのトビリシにも同じ系列の学校を見つけて
それも移住の後押しに。
そこへ日本にいる時から連絡をしていたけれど途絶えたりで
手応えないままジョージアに来てしまったのでした。
なんとか学校とのコンタクトに成功して
学校関係者にひと目会えたその日からは
必要な書類はあとから日本の学校にお願いしたりしたものの
こんなに簡単に入学できちゃうの!?ってな感じで
娘の学校生活もスタート。
トータル3年通って
シュタイナー教育だと節目の8年生も無事に終えることができました。
その間は学校に行きたくなくて
身体が重すぎて起きられない朝も。
どうして学校に行かなきゃ行けないの??
って何度聞かれたことか
でも素晴らしい先生と愛情溢れまくりの友達に恵まれて
存分に学校生活をエンジョイしていた娘。
この夏からはジョージアを離れて
フィリピンの学校で単身学んでいます。
そう思えたのもジョージアの学校生活のおかげさま。
娘の変化
小6を終えてからジョージアに来た娘。
3年半で16歳になりました。
その3年半での変化。
ジョージア人はみんな
「思っていることは口に出す(いいことも悪いことも)」
相手には口に出して伝えてナンボの精神を
ジョージア人の友達から学んだ娘
かわいいね!よく似合ってる!
すごくいいよ!大好き!
そういう言葉をよく人からかけてもらってたし
娘も本当によく言うようになってたな。
あと、積極的になって人前に出ることが何でもなくなったなーと。
幼稚園のころから目立つことがそんなに好きではなくて
なるべく見てくれるなと声も小さめだったけれど
積極的でしかないジョージアのクラスメイトたちに囲まれて
娘もそういうことが自然に。
日本に一時帰国した時に
以前通っていた学校に1週間通わせてもらったのだけど
娘の変わりっぷりに担任だった先生が驚いてたっけ。
あと、日本の常識から離れて
ジョージア人のおおらかさ、いい加減さなんかに
どっぷり浸かって
これをせねば、こうあらねば
みたいなものがすっかりなくなったみたい。
そしてジョージア語にもどっぷり浸かった3年半。
他の言語を学ぶ自信にも繋がったみたいだよ。
家族が増えた!
日本にいる時からワンコを飼いたかった娘。
ジョージアでは何故かワンコが飼える!と思っていて
ある日カヘティの友達のところへ遊びに行った帰りに
路上でふらふらとしている生き物を発見。
それがのちに家族となるポンチキとの出会いでした。
彼はとても小さくて弱っていて
そのあと病氣もしたけれど
とーーっても大きくなって
山を駆け回る姿はもはや馬。
日本に連れて行こう!と決めてからは
超絶調べまくって
日本の検疫所にも相当メールをして確認しまくって
羽田に着いた時は
もう本当に感無量。
ぽんちゃんよくがんばりました。
今は路上に何も落ちていない日本の生活にもだいぶ慣れて
元氣に過ごしています。
戦争が始まった
一番大きな出来事としては
2022年2月に戦争が始まったこと。
それによって家賃も高騰したし
おしゃれカフェもたくさんできたし
なによりたくさんのロシア人やウクライナ人がジョージアにやってきた。
私は生まれて初めてロシア人にもウクライナ人にも出会って
たくさんの友達ができた。
発酵モノが大好きなロシア人の友達とは
お味噌を一緒につくったり
ロシア版ザワークラウトや発酵ドリンクを教えてもらったり
「氣持ちがいい!」
という日本語が一番の褒め言葉で
(多分いい氣分!みたいなことが言いたい)
よく、氣持ちいい!と最高の笑顔で言ってくれたな〜
英語の先生のロシア人の友達とは
1週間に1回ラングエッジエクスチェンジで
お互いに英語と日本語を教え合ってゲラゲラ笑ったり
日本語クラスに毎回来てくれるウクライナ人の友達は
グングン日本語が上達して
簡単な会話だったら日本語でできるようになっていったり。
年齢性別関係なくそういう関係がつくれたのは
私にとっての大切な財産になったな。
結局危ない目には‥
3年半暮らしてみて
危ない目には結局1度も遭遇したことがなかったな。
ジョージア人ドライバーはクレイジーな運転をする人もいたりで
そういうのは意識を飛ばしていたりしたけれど
スリとか泥棒とか
騙されるとか
そういうのは一切なし。
10代の娘も友達の家で遊んでいて
22時過ぎに帰宅とかあったけど
そういうのもあまり心配がいらないくらい。
ジョージア人はみんな親切だし
困った時はどうにかなるだろうって
そういう安心感も。
チャレンジが楽しいジョージア
ジョージアはノービザでも364日(365日?)滞在できて
一歩ジョージア国外へ出れば
またそこからノービザで滞在できるという
世界でも稀に見る移住のハードルが低い国。
しかもIDがなくても銀行口座はサクッと作れるし
車の売買もできちゃう。
子どもも公立の学校に入学できるし
商売を始めようと思ったらその日からでも可能っていう
これやってみたい!
を叶えやすい国。
日本文化や日本人に興味を持ってくれる
ジョージア人やロシア人が本当に多くて
それなら私ができることってありそうだぞと
日本語を教えるクラスとクッキングクラスを開催することに。
日本語を教えるのは初めてだったから
やりながら試行錯誤をしていって
来てくれる生徒さんたちと作り上げていく感じがよかったなー
ジョージア人、ロシア人、ウクライナ人、カザフスタン人
カナダ人、南アフリカ人、スペイン人と国際色豊かな生徒さんたち
抹茶やおにぎり、巻き寿司のクラスも開催してみて
その手応えからおにぎりや巻き寿司を限定で販売してみたりも。
日本に興味のある外国人たちとのコミュニケーションは
本当に楽しくて
いろいろチャレンジしみて
これが私は楽しいんだ、これは意外と大変だな
とか試すことができていい経験を重ねることができました。
友達家族もパンの国で無謀にもパン屋をオープンしたよ。
日本に戻ってみて恋しいもの
今日本で3週間くらい生活して
日本のあれこれに慣れてきて
運転楽しいなーとか納豆最高だなー
とかあるけれど
ジョージアから持ってきたワインが底をつきそうで
とても悲しい‥
日本酒は絶対的に美味しいから代わりにそれを飲んで
ジョージアワインの延命をはかっているものの
やっぱワ日常的に飲むのはワインがいいなあ
リースリングとかも買ってみて
うまー!ってなるけど
日常で飲むのはジョージアワインがいいなあ
ジョージアワイン本当に美味しいのよ‥
まとめ
この夏は日本からの観光客もだいぶ増えていて
ジョージアも以前より知られるようになったもんだなあ
と感慨深い。
長く滞在するつもりはなくても
氣がついたら滞在を延ばしていた‥
って人にも何人も会いました。
3年半だけどジョージアに暮らした私は
それがとーーってもよくわかる。
ジョージアは居心地がとてもいい
素敵な場所。
これから行ってみようかな?
と思ってる方にも参考にしてもらえるように
引き続きジョージアの魅力を伝えて行けたらいいな!